Fish Song 2.0 


 本日ふたつめ。自分でもどうかなー。とは思います。けれど、思っても口に出さないのが社会人です。口をつつしみなさい。きみは今ラピュタ王の前に立っているのだよ(←こういうの思っても口に出さないのが立派な社会人です

 ラストを進むでしめたのは、つまりそういうことです。リスペクトHIRASAWAです。嘘です。たんなる偶然です。


 ストリート・ムーン・マニアックはネオンの海に沈んでいる。そのきらきらと輝く光に溺れてわたしは浮いたり沈んだり、ぷかぷか気楽にただよっていた。流れてきたくらげがくらくら笑って、その愛らしさに思わず抱きしめたいくらい。
 あの子は電灯の下、そっとたたずんで、わたしが名前を呼ぶと手を振ってくれる。肩の上で切りそろえた髪がちいさく揺れて、そのかわいらしさに思わず抱きしめたいくらい。
 ふいにぽちゃん、と音がして視界の端に魚が一ぴき飛びはねた。ピラルクーの身体に、きれいな女の人の顔。
「やあ、アルバート・フィッシュだ」
 おおきい。とても大きかった。わたしの身長と同じくらいあった。その長い胴体に手を伸ばすと、指先の隙間をすっと通り抜けて、だまし絵みたいな光景がただただ楽しい。抱きしめようとすると、跡形もなく消えてしまって、いったいどこに行ったのやら。
「ねえ」
 と声がして振り返ればあの子がいる。上を指して、
「行こうよ」
 わたしは笑って、うなずいて、飛びついて、抱きしめて、腕の中にはたしかな体温があって、ぬくぬくとして柔らかで、その感触にもういちど笑った。
 そうして、ふたり、ぷかぷかゆっくり昇っていく。向かうさきは夜空に浮かぶお月さまサ。笑って、ふたり、ぷかぷかゆっくり昇っていく。

        ○

 聞いたところによると、この一帯は静かの海と呼ばれているらしい。水もないのに海なんて、ネオンもないのに海なんて。変なの、と呟くと、文句はケプラーに言いなさい、なんて怒られた。あの子のショートカットは無重力にもへっちゃらで、ふんわりとカーブがかって太陽風にそよそよそよぐ。背後に金星がゆれて、あたりは無音。あの子の呼吸の規則ただしい響きだけが耳をくすぐる。上下にうごく胸元から細い首筋が伸びてすこし色っぽい。その純白に頸動脈が淡く走って、中を流れる赤血球に思いを馳せる。指先から子宮まで、身体中をめぐるちいさな細胞。ちょっと羨ましい、なんてそんなことを思った。あの子の頬に手をかさねると、なめらかな肌の感触に、表情筋のしなやかさ。そして、その下に断層をなす脂肪の柔らかな手触り。
 わたしが一個の細胞ならよかった。クラゲみたいに透明で、満月みたいにまんまるで、りんかくがあいまいにぼやけていればよかった。あの子が隣にいて、ふたり、どろどろに融けあって、ひとつだったなら、それだけで全部よかった。
 でもわたしたちは人間で、どうしようもないくらいに人間で、しかたないから後ろに倒れ込んで、あおむけに寝ころがった。舞い上がった塵を吸い込んで、咳きこんで、それを見てあの子が笑う。同じように倒れて、同じように塵を吸って、同じように咳をした。
「咳をしてもふたり、だね」
 そう言ってまた笑う。
 ――最初からひとりだったなら、それでよかったのだ。
 見あげれば地球。そのテクスチャに重なって、まんまるな眼球が、じろりとこちらを覗いている。それはアルバート・フィッシュの瞳で、証拠に、眼球のイメージに重なって、さきほどの女の人の顔が見える。こうして見てもきれいな人で、どこかで見たことある顔だと思ったら、それは隣のあの子の顔に他ならなかった。
 ふいにアルバート・フィッシュが泳ぎだす。よじるように身体をねじって、もがくように背中をあがいて、軌跡が複雑な紋様をえがく。それがだんだんと単純化してきて、四角形となり、三角形となり、やがて完全な円を描くと、尾を噛み、まんまるな状態を保って、その光景に、地球のかたちが重なった。
 にやり、とアルバート・フィッシュが笑う。
 世界のりんかくが融けていく。ゆっくりゆっくりほどけていく。

        ○

 はっと気がつけば、見慣れた地元の歓楽街に立ち止まっている。ネオンはいっぱいに輝いているけど、たちこめる光に飛び込むことなんてできない。できるはずもない。ネオンの海の見える通り、ストリート・ムーン・マニアック、なんて。そんなの馬鹿みたい。笑ってしまうくらいだ。空を見あげると、すこしだけ欠けた月が浮かんでいる。満月のまんまるからはほど遠い、歪なかたち。でもその歪さが現実なんだなあ、なんて、うなずいて。なんとなく切なくなって。
 電灯の下、そんなわたしを見ているわたしがいた。振り返ったわたしが見えて、わたしを見ているあの子が見えた。
 その時、わたし、あの子だった。
 その時、あの子、わたしだった。
 その時、ふたり、ひとりだった。
 その時、ひとり、ふたりだった。
「あっ……」
 驚きに思わず漏らした声は、いったいどっちが発したものなんだろう。互いに歩み寄りはじめたその一歩目は、いったいどっちが踏み出したんだろう。そんなのもうわからない。わたしたちはひとりで、融けあった一個の細胞で、全身を巡る赤血球すら共有していて、わたしはB型で、あの子はO型で、でもそんなの関係なくて、この身体はふたつの心臓で動くひとつの血液循環系で、あの子がわたしの鎖骨をやさしくひっかいて、そこからにじむ血しょうの、黄昏みたいに鮮やかな赤色!
「好きだよ」
 って、そう伝えるのに勇気なんていらなかった。
「わたしも」
 って、そう伝えるのに恐怖なんてなかった。
 頬と頬を寄せ合った。額と額を付き合わせた。掌と掌を重ね合った。そうして、唇と唇を、ゆっくり近づけていって、ああ、やっぱり、むなしいな。
 遠くから歌がきこえる。かすかにきこえる。へたくそな歌が、きこえる。メロディーは不安定で、歌詞の意味もよくわからない。ただひとつわかるのは、それがラブソングだということ。都市を泳ぐ魚が出会ったマネキンにガラス越しの恋をする、ちょっと馬鹿みたいなラブソングだということ。
 それはわたしとあの子しか知らない歌だ。
 きこえる。こまくをやさしく震わせて。
 本当に馬鹿みたいなのは、わたし自身だったのだ。
 ふと見あげれば、欠けた月のイメージに重なって、アルバート・フィッシュが浮いている。
「ねえ、あんたってさ……」
 やさしいの? ざんこくなの? きちがいなの? かみさまなの? いろいろな言葉が沸いては消えて、消えては沸いて、けっきょくこう尋ねた。
「いったい、なにものなの?」
 問いかけると、驚異の魚はにやりと笑って、ひらめいて、消えた。それを見たわたしも笑って、わたしであるあの子に別れを告げる。
「じゃあね」
「うん。じゃあね」
 名前を呼ぶと、あの子であるわたしは手を振って、
 すべては泡に弾けた。

        ○

 目覚めると屋上に寝ていた。仰向けに眺める空には、流れる血よりもずっと鮮やかな夕映えが一面に冴えわたっていた。
 そうして、へたくそな歌が聞こえる。
「――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ。……っと、起きたか。おはよう」
「おはよ。……ていうか、その歌あんまりうたわないでね、って言ったよね。もう」
「なんでさ、いい歌だと思うよ」
「純粋に恥ずかしいんだよ」
「いいじゃんいいじゃん。きっといつかその恥ずかしさが快感に」
「ならないならない」
「照れるな照れるな」
「照れてない照れてない」
 必死のわたしの言葉を、あの子はふん、と鼻で笑い飛ばす。そうしてすこし恥ずかしそうに言う。
「この歌、好きなんだ。すこし私に似ている気がして」
「似てない似てない」
 似てるはずがない。だってさ。それはさ。
「もう、ちゃちゃをいれるなよ。最後まで聞きなさい。……だからね、別にあんたが作った歌だから、とかそんなんじゃなくて、純粋にうたいたいからうたってるんだ。これは凄いことだと思うよ。六十億人の有象無象がいて、その中のふたりがそうとは気付かないシンパシーを持っていて、そうして、ふたり隣り合わせに立っていて、さ。とんでもない確率だよね。奇跡だよね。今なら宝くじだって当てちゃいそうだ」
「……」
「……」
「……、ねえ」
「なに?」
「そのセリフ、すっごくクサいよ」
「……、ごめんなさい」
 空にはいっぱいの黄昏だ。あの切ない輝きがいまにも降ってきそうなくらいだ。そんな空の下、わたしが笑って、あの子も笑った。強く風が吹いた。みじかい髪がちろちろとなびいた。遠くに金星がゆれて、放課後の学校は野球部の怒鳴り声ばかりがうるさい。
「ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁー」
「もう。だからうたわないでってば!」

        ○

 自転車にのって坂をくだる。
 あの子はいまごろ彼氏の原付のケツに座って帰宅しているはずだ。むくむくと隆起した腹筋にしがみついて、ぬくぬくと暖かいなあ、なんて思っているはずだ。
 ブレーキから手を離すとスピードが全身を駆けめぐる。このまま流れて風になってしまいたいけれど、わたしの確固とした境界線がそれを許さない。許してくれない。
 シンパシーという現象。共鳴。ふたつの音叉。ふたりの人間。
 坂が尽きていく。すこしずつブレーキを握って、すこしずつ減速していく。スピードがほどけていく。
 地平線に煙突が屹立して、もくもくと煙をふきだしているのが見える。その上で、欠けた月が刃物のように輝いている。燐光に肌がちりちり震えて、いまにも切り裂かれてしまいそうだった。
 口笛を吹く。自作の歌のメロディーを。作った翌日に友達に聞かせてみせて、夜中ベッドで死ぬほど後悔した曲を。
 音の連なりが脳を満たすので、わたしは何も考えないですんだ。からっぽの頭のままペダルを踏む。そのスピードがチェーンを伝わって、自転車は進む。風をきって進む。

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